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スウドク チュウドク

47newsロゴ朝の眠気覚ましは、Android タブレットの「47NEWS」アプリのタップです。PC版にも、たまにアクセスします。
数日前、久し振りにPC版「47NEWS」を見ました。レイアウトがアップデートがされていた様でしたので記事は二の次にして、隅から隅までじっくり眺めて見ますと、ニュースサイトではほとんど見ることのないゲームの Web widget が右サイドバーの最下部に置かれていました。それは一桁の数字を81のマス目に埋めてゆく単純なゲームです。今までに雑誌などで見かけたこともありましたが、遊び方や解法を調べようと思うほど興味をそそられませんでした。
しかし、ここの widget に「このゲームの遊び方」へのリンクがありましたので、試しにクリックしてみますと wikipedia 数独ページ が開きました。「数独」というゲームなのですね。それにしても、随分と安直な「遊び方マニュアル」ですよね。

数独シート数字も独身も好きなの私は、メモ用紙を手元に置き、トライしました。1Hot レベルなら5分もあれば出来るだろうと高を括っていました。ブロックごとに入力候補の数字をメモに取り、手早く進めたつもりですが20分ほど掛かってしまい、再度トライです。五~六度目には7分台が出ました。「ヨシッ、手順は分かった」とばかりに次のゲームを続けました。んっ、ブロックごとに埋めるのは不可能です。取りあえず埋められるところだけを埋めて、プレートをじーっと見つめてみました。暫くして、ある列が7マス埋まっていることに気づきました。ブロック単位の処理ではなく、行・列の単位で処理をするパターンのようです。全部埋まったときに表示された時間は、30分台でした。堪りません。10分前後の時間を叩き出すと、ゲームのパターンを変えてくるのですから。止むことなく、次のゲームをクリック。
数独中毒です。

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2013-11-30(土) |  Neutral |  コメント(0)  | Top▲

会津街道と椎坂峠

会津への道

1569年(永禄12)正月6日、沼田城主朝憲は金子泰清(景義の伯父)に促されて、年始の挨拶に沼田顕泰(万鬼斎)の元に出向いて行きました。顕泰は、実の息子である朝憲の不意を衝いて殺害してしまいます。平八郎景義を城主に就けようと、顕泰と後妻のゆのみ、ゆのみの兄金子が企てた陰謀です。この卑劣な手段に沼田兵は顕泰に従わず、朝憲夫人の元に結集します。夫人は敵を討つため、父である厩橋城代北条(きたじょう)弥五郎に援軍を仰いで、二千余の兵で顕泰の屋敷(天神山城)を攻めました。顕泰は、堪らず天神山城に火を放ち平八郎景義とゆのみを連れて会津に向かって遁走します。

会津街道と呼ばれる道が開いたのは、この頃だと言われています。沼田から尾瀬沼を抜けて会津へ至る道で、会津側からは沼田街道と呼ばれています。江戸時代には上州と会津の交易を支えた重要な街道です。

椎坂トンネルへの道

栗生隧道 1920年(大正9)、会津街道が沼田日光線、県道沼田若松線に認定され、沼田から最初の峠に延長327.67m、幅員3.75mの栗生隧道(素掘りのトンネル)が開通します。60年前の1953年(昭和28)には、県道沼田日光線が国道120号線に格上げとなり、交通の難所であった栗生峠が改修の対象にされました。
1964年(昭和39)、椎坂峠を越える新道が建設されました。それでも連続する35か所の急カーブと冬の積雪は、峠の通行に困難をきたしました。1997年(平成9)地元民の強い要望によりバイパス整備の事業着手、2009年(平成21)にトンネル工事が開始されました。

そして、本日2013年(平成25)11月22日(大安吉日で良い夫婦の日)に予定より一年前倒しで、椎坂トンネルが開通しました。私は、クロスバイクでトンネルを走ろうと2時間ほど掛け、開通を待って長蛇の列を成す自動車を尻目に白沢側入口まで行きました。
午後3時、事業開始から16年、待ちに待った椎坂トンネルの開通です。ぐんまちゃんがお出迎えの中、ゆっくりと次々に車がトンネルに飲み込まれて行き、4分後には大原側からの車が抜けてきました。

椎坂トンネル開通fig_1

ぐんまちゃんがお出迎え

椎坂トンネル開通fig_2

長蛇の車列

椎坂トンネル開通fig_3

対向車線も連綿と

間もなく、白沢側からの先導パトカーが折り返してきました。パトカーに同乗の警察官が係員に向かって「中、埃がすごい。ファン回っているの?」と繰り返していました。
私も、途切れることなくトンネルに入って行く車列を見て、クロスパイクで走るのを躊躇っていたのですが、即座に迷いが消え、ゆっくりと帰宅の途に就きました。
連休が明けてから、のんびり走ろう\(´O`)/

タグ:沼田史
2013-11-22(金) |  Neutral |  コメント(0)  | Top▲

平八郎の武具塚

町田坊観音堂クロスパイクを乗り始めて二ヶ月になりますが、なかなか取り回しが上達しません。交通量の多い通りを避け、練習も兼ねて田舎道をサイクっています。メインにしているコースの途中に町田坊観音堂があります。
1108年(天仁1)に創建され、数度の火災にあい、現在のお堂は1830年(天保3)に再建されたものです。本年(平成25)3月1日に、近世に建れらた仏堂として、建築様式美、装飾化、平面形式など総合的に優れた建築物であると評価され、沼田市指定重要文化財に登録さました。

武具塚1581年(天正9)3月14日、真田昌幸の命に従った金子泰清の策略に嵌った沼田平八郎景義は、武具を解いて平服姿で沼田城に入城します。出迎えた沼田氏の旧家臣らに刀で背後から突き刺されて最期を遂げました。(沼田大明神を参照)
景義が武具を解いた所が町田坊観音堂です。金子泰清をはじめ沼田氏旧家臣らは、景義の武具類を観音堂の境内に埋めて、供養しました。地元の人々は、その場所を武具塚と称して保存しました。
俳人籾山其風が建碑を算段して亡くなった翌年の1823年(文政6)に嗣子能平が遺志を継いで建立します。
石碑には芭蕉の句「むざんやな 兜の下の 蟋蟀」
台座には其風の句「咲き残る 花に哀れの 枯野かな」が刻まれています。

タグ:沼田史
2013-11-18(月) |  Neutral |  コメント(0)  | Top▲

お千代さん、ありがとうございました

私にとって、盆踊りとくれば「沼田音頭」です。
子供の頃から慣れ親しんだ歌声です。
島倉千代子さん、ありがとうございました。

歌:島倉千代子 作詞:西沢 爽 作曲:米山 正夫

2013-11-08(金) |  Neutral |  コメント(0)  | Top▲

沼田城鐘

沼田城鐘 元和2年(1616)真田沼田初代城主信幸が上田城に移るにあたり、嫡男信吉(母:小松姫)が沼田城を譲り受け二代城主の座に就きます。
寛永11年(1634)7月、信吉は白井宿の鋳物師を招き、真田家の隆盛と領内の安泰を祈願して梵鐘を作らせました。その年の11月、信吉は病没。行年40歳でした。
信吉の逝去して3ヶ月後の寛永12年(1635)2月、のちに沼田五代城主となる庶子信利(信直)が生まれます。47年後の元和元年(1681)城主信利が改易され、翌年には当時関東で唯一の五層天守閣の沼田城は瓦一枚残さず破却されて、堀も埋め立てられました。信吉が真田家隆盛を祈願して鋳造させた梵鐘も土中に埋められる処でしたが、平等寺の十五代住職覚遵が幕府に払い下げを願い出て寺の鐘として保存されました。沼田城唯一の形見です。

昭和58年(1983)市民の熱望により、鐘楼が沼田城址公園内に復元され、梵鐘(城鐘)が元の場所に戻りました。真田家の隆盛は兎も角、市内(領内)の安泰は鐘の音に護られています。

※昭和29年(1954)城鐘は、群馬県重要文化財の指定を受けました。現在は沼田市中央公民館にて保管・展示されています。

カレンダー11-12月

Casa de Saka カレンダー11-12月

タグ:沼田史
2013-11-03(日) |  Casa de Saka(さかん家) |  コメント(0)  | Top▲
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