FC2ブログ
121234567891011121314151617181920212223242526272829303102
月別アーカイブ  【 2014年01月 】 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--------(--) |  スポンサー広告 |  CM(-) | Top▲

うつぶしの森

国道120号線、椎坂トンネル白沢口から沼田市内へ2.5キロ程の通り沿いに史跡「うつぶしの森」があります。

鎌倉(唱歌)

義貞の奇蹟 元弘3年(1333)、「義貞の奇蹟」によって鎌倉幕府が滅亡しました。「モーセの奇蹟」は杖を振っただけですが、新田義貞は気前よく黄金の太刀を海に投げ入れて竜神に奉げたのです。
「五月八日ノ卯刻ニ、生品明神ノ御前ニテ旗ヲ挙、」(太平記)
生品神社(太田市新田市野井町)にて鎌倉幕府を討伐せんと挙兵し、わずか20日足らずで討幕を遂げます。
しかし、その後の義貞は、運までも気前よく使いはたしてしまったのか捗々しくありません。
延元3年(1338)足利方が籠もる越前国藤島城を攻める味方を激励するため、50騎ほどの手勢を従えて藤島城へ向かう途中の燈明寺畷で、足利方の斯波高経軍と遭遇、交戦になりました。乱戦の末、義貞は田んぼに追い込まれて落馬し、起き上がったところに敵の矢が眉間に命中。観念した義貞は、自らの大刀で頚を掻き切って果てました。

白佐波神社本殿義貞の三男義宗が嫡嗣として扱われ、越後で一族に匿われます。義宗は長じて越後・関東に於いて南朝方につき、足利尊氏に挑みます。一時は鎌倉の奪還を成しますが、忽ちのうちに劣勢に追い込まれてしまいます。
正平23年(1368)二代将軍足利義詮、初代鎌倉公方足利基氏の病死を機に、再び鎌倉奪還をと決起します。七千の兵を率いた義宗に、これを鎮圧せんと寄せ来る足利方上杉憲正將・能憲軍六万の兵が沼田の台地で激戦を繰りひろげます。義宗は、この戦いで右眼を矢で射ぬかれ、うつぶし(俯せ)に落馬して戦死。ここに新田氏は実質的に滅びました。
地元の民は、義宗の霊を「うつぶし明神」として祀り、かの地を「うつぶしの森」と称して伝えてます。
「うつぶしの森」解説看板を画像で読む)

「うつぶし…」とは何とも微妙なネーミング、と感じるのは私だけかな~?

スポンサーサイト
2014-01-08(水) |  世界のぐんま(地域) |  コメント(0)  | Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。