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御殿桜と城掘川枝垂れ桜

「小田原評定」とは、いつになっても結論の出ない会議などの故事成語です。
戦国時代末期の天正17年(1589)11月、、北条氏と真田氏の領土紛争に豊臣秀吉の仲裁による和解が進められていた最中、沼田城代の北条家臣・猪俣範直が真田家臣・鈴木重則の守る名胡桃城を占領します。秀吉は、これを北条氏の惣無事令違反であると非難し、討伐令を全国の諸大名に通知します。翌年、7月5日小田原城が開城となり、秀吉は事実上、天下統一を果たしました。このときの、北条氏の一族・重臣が徹底抗戦するのか降伏するのかで、長く紛糾した会議が「小田原評定」の故事です。

秀吉の天下統一に大きく係わった沼田城(蔵内城)は、天文元年(1532)、沼田氏12代沼田顕泰により築城されました。

御殿桜

桜と鐘楼


享禄3年(1530)、流水のない台地(滝棚の原)に城を築くにあたり、白沢川上流から城までおよそ16Kmに及ぶ白沢用水を開削します。この年、越後の上杉謙信が生誕しています。その後、人口増加による水不足解消のため、寛永5年(1628)、沼田城主真田家二代・信吉により川場・薄根川を取水口とする川場用水が開削されて白沢用水に合流されます。水戸光圀生誕の年のことです。

城掘川枝垂れ桜 撮影:さか

城掘川緑地


合流地点から城までの準用河川滝坂川は「城掘川」と呼ばれ町民に親しまれ、大正14年(1925)に上水道が完成するまで飲用水に使われていました。
城掘川枝垂れ桜と沼田城址公園の御殿桜は、480年以上の歴史を持つ「城掘川」で繋がっているのです。

2013-04-13(土) |  Neutral |  コメント(0)  | Top▲
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