面白くもない記事を綴ってます。良いことがあった日は普通の日に、退屈な日はより退屈な日にできます。
天正17年(1589)11月、北条家臣・猪俣範直の謀略によって名胡桃城を掠奪された城代鈴木重則は、おのれの不甲斐なさ恥じて正覚寺(現:沼田市鍛冶町)で切腹をします。秀吉は、この事件を小田原征伐の大義とし、事実上の天下統一を果たしました。
さて、沼田市では11月10日のイベント「戦国ストリートin沼田2013」で行われる武者行列への参加者を募集しています。イベント告知のチラシを飾るのは「戦国無双3」(©コーエーテクノゲームス)のキャラクター稲姫(小松姫の幼名)です。二代目真田沼田城主信幸の正室です。
慶長5年(1600)7月、真田信幸は父昌幸、弟信繁(幸村)と共に上杉景勝を討つため会津へ向かう途中、下野・犬伏の陣に石田三成から決起の密書が届きました。ここで、父と弟は三成勢に、信幸は家康勢にと分かれる決断(犬伏の別れ)をします。信幸は小山の徳川陣営に向かい、昌幸・信繁は上田に引き返します。昌幸は道中、孫(信幸の子)の顔が見たいとの口実で沼田城への入城を試みました。城主信幸の留守を守る小松姫は自ら武装して、「例え義父であっても今は敵味方の間柄」と入城を阻止します。昌幸は、小松姫の決意に感心して引き上げ、正覚寺にて一泊の休憩をとりました。翌日、小松姫は正覚寺を訪れて昌幸と孫との対面を果たします。
女傑にして、良妻と伝えられる所以です。
20年後、小松姫は病にかかり江戸から草津温泉へ湯治に向かう途中の武蔵国・鴻巣にて亡くなりました。火葬、分骨されて正覚寺にも埋葬されております。
享年48歳。法名、大蓮院殿英誉皓月大禅定尼。
≪ ここが、ここが二重橋♪ | HOME | ポリエステル アレルギー ≫