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会津街道と椎坂峠

会津への道

1569年(永禄12)正月6日、沼田城主朝憲は金子泰清(景義の伯父)に促されて、年始の挨拶に沼田顕泰(万鬼斎)の元に出向いて行きました。顕泰は、実の息子である朝憲の不意を衝いて殺害してしまいます。平八郎景義を城主に就けようと、顕泰と後妻のゆのみ、ゆのみの兄金子が企てた陰謀です。この卑劣な手段に沼田兵は顕泰に従わず、朝憲夫人の元に結集します。夫人は敵を討つため、父である厩橋城代北条(きたじょう)弥五郎に援軍を仰いで、二千余の兵で顕泰の屋敷(天神山城)を攻めました。顕泰は、堪らず天神山城に火を放ち平八郎景義とゆのみを連れて会津に向かって遁走します。

会津街道と呼ばれる道が開いたのは、この頃だと言われています。沼田から尾瀬沼を抜けて会津へ至る道で、会津側からは沼田街道と呼ばれています。江戸時代には上州と会津の交易を支えた重要な街道です。

椎坂トンネルへの道

栗生隧道 1920年(大正9)、会津街道が沼田日光線、県道沼田若松線に認定され、沼田から最初の峠に延長327.67m、幅員3.75mの栗生隧道(素掘りのトンネル)が開通します。60年前の1953年(昭和28)には、県道沼田日光線が国道120号線に格上げとなり、交通の難所であった栗生峠が改修の対象にされました。
1964年(昭和39)、椎坂峠を越える新道が建設されました。それでも連続する35か所の急カーブと冬の積雪は、峠の通行に困難をきたしました。1997年(平成9)地元民の強い要望によりバイパス整備の事業着手、2009年(平成21)にトンネル工事が開始されました。

そして、本日2013年(平成25)11月22日(大安吉日で良い夫婦の日)に予定より一年前倒しで、椎坂トンネルが開通しました。私は、クロスバイクでトンネルを走ろうと2時間ほど掛け、開通を待って長蛇の列を成す自動車を尻目に白沢側入口まで行きました。
午後3時、事業開始から16年、待ちに待った椎坂トンネルの開通です。ぐんまちゃんがお出迎えの中、ゆっくりと次々に車がトンネルに飲み込まれて行き、4分後には大原側からの車が抜けてきました。

椎坂トンネル開通fig_1

ぐんまちゃんがお出迎え

椎坂トンネル開通fig_2

長蛇の車列

椎坂トンネル開通fig_3

対向車線も連綿と

間もなく、白沢側からの先導パトカーが折り返してきました。パトカーに同乗の警察官が係員に向かって「中、埃がすごい。ファン回っているの?」と繰り返していました。
私も、途切れることなくトンネルに入って行く車列を見て、クロスパイクで走るのを躊躇っていたのですが、即座に迷いが消え、ゆっくりと帰宅の途に就きました。
連休が明けてから、のんびり走ろう\(´O`)/

タグ:沼田史
2013-11-22(金) |  Neutral |  コメント(0)  | Top▲
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